略して「バタフライ効果」。男子団員二人中心のテキストを取り扱っています。
Posted by バタフライ効果 - 2008.06.03,Tue
俺に中央司令部より召集がかかったのは地上で夜の明けきらない未明のことだった。
必要最低限の数名の部下だけを連れて小型艦で移動コロニーに寄航すると、俺は足早に歩いて目的の部屋へと急いだ。
将位クラスのフロアにある一室の前に立つと、インターフォンに向かってIDコードを示し、名前と階級を名乗る。身分照合と声紋照合、網膜照合を終えてドアが開く。
「失礼します」
「急に呼び出して悪いな」
中に入ると眼鏡をかけた長身の男が立派なデスクに寄りかかるように浅く腰掛け、腕を組んでこちらを見ていた。革張りの立派な椅子があるのだから座っていればいいものを、なんで立っているんだか。持て余しそうなほど長い足が嫌味に映るのは俺の僻みか?
「昇進おめでとうございます、閣下」
以前会ったときより階級をまた一つ上った男は俺の敬礼を流し見て、かけていた眼鏡を外すと胸ポケットに入れながら、薄い唇を引き上げる。
「堅苦しいのは抜きだ。いつもどおりに呼べ」
裸眼を晒した男がにやりと微笑んだ。
この男、鼻筋の通った美形なのだが――眼鏡を取ると鋭利で精悍な顔立ちが更に際立つ――どうにも笑う顔が悪くていけない、といつも会うたびに思う。何か裏があるのではないか、悪いことを企んでいるのではないか、と疑わずにはおれないような人の悪さが滲んでいる気がする。俺の被害妄想かもしれないが。この男を例えて冷笑しか知らないクールフェイス――冷血漢――だという噂をよく聞くのだが…俺の前では結構よく意地悪くも楽しそうに笑っているから、噂など当てにならないもんだ。
「……久しぶりなのにお変わりなさそうで。お噂は星の彼方まで届いてますよ、会長」
俺が態度をいくらか崩して会長と呼ぶと、男は咽喉を鳴らした。
「どうせ碌な噂じゃないんだろ?」
「よくも悪くも名が知られることはいいことだと言ったのは会長ですよ」
「名声なんぞ売ってなんぼだ。知られていなければ存在しないも同じことだからな」
「相変わらず傲慢だ。でもそれでこそ会長らしい」
「褒め言葉として取っておこう」
「会長の広いお心に感謝します」
ふ、と息を抜くように会長が笑った。
「不思議とお前にそう呼ばれると学生に戻った気分になる」
「お気に召さないのなら階級でお呼びしますが」
「いや、お前に階級で呼ばれても自分のような気がしない。それにお前の声は俺に初心を思い出させる」
仕官学校時代の先輩であるこの男は俺が学生だったとき、生徒会の会長を務めていた。俺がこの男を会長と呼ぶのは、そのときの名残りだ。士官学校にも生徒会なんてあるのかと思われるかもしれないが、士官学校だろうと学校と呼ばれる場所にはそこに集まる人間をまとめる自治体があるものだ。
「お前の上司の、頭が花畑女はいまだに満開か」
なんて酷い言い様だと思うが、これも付き合いの長さゆえ、仕方がない。士官学校時代、ハルヒは事あるごとに会長とバトっていた。というか、ハルヒが勝手にいちゃもんつけていた。その事の収拾にあたったのは勿論、俺と古泉だ。この嫌な下積み時代のおかげで、俺と古泉の誤魔化し能力と書類捏造の技術は磨かれた。まさに口八丁手八丁。
「……ええ、絶好調ですよ」
「そうか。それはまたはた迷惑なことだ」
「ええまったく」
「犬はどうしてる」
「…………閣下、艦内での動物の飼育は禁止されております」
「見た目だけなら上等なのが一匹、お前のところにいるだろうが」
それとも少し離れただけで恋人の顔まで忘れたのか、と男がニヤニヤと笑う。
この男のことだから、俺と古泉のパートナーシステム登録に至る経緯を調べ上げて推測していることだろう。その上でからかってきてやがる。なんて性格が悪い男なんだ。だがここで下手に声を荒げて反論などしようものなら更に揶揄されるのは目に見えている。この男の手にかかれば俺なんて手のひらの上のハムスターみたいなもんだ。いいように小突き回されて終わる。
俺は諦めを込めて小さく息を吐き出した。
「古泉に用があるなら俺じゃなくあいつを直接呼び出してくださいよ」
「幕僚総長であるあいつよりお前のほうが呼び出しやすい」
「……言うと思いましたよ」
この男は士官学校時代から変わらず俺のことを自分の雑用係のように扱う。というか、絶対俺を自分の雑用係だと思っている。一時期とはいえ、下士官時代この男の下で働いていたから、俺も反射で従っちまうし。いや、そんなことを差し引いてもこの男は人を従えるということを知っている。視線一つで相手を威圧する。
「で、雑用係をわざわざ呼びつけるなんてどんな御用ですか」
「ちょっと面倒なことになりそうでな」
俺は溜め息を吐き出す。
男自身が面倒と言ったことで、絶対に厄介ごとだ、と確信した。この男が少々のことで面倒なんて言葉使うもんか。
「……聞かなきゃ駄目ですか」
厄介ごとはできるだけ関わりたくないと消極的な態度を取ると男がにやりと唇の端を歪める。
「聞かないとお前の犬が機関に連れ戻されるかもしれないぞ」
「――え?」
一瞬だが、俺の頭はフリーズした。
「どこぞの馬鹿がクーデターを起こして小コロニーを占拠した」
「どういうことですか!」
「クーデター自体はすぐに鎮圧した。クーデターがあったこと事実ごと揉み消されたからお前が知らなくても仕方ない。――もう済んだことだ、落ち着け」
「…っ」
「俺と古泉のバックにいる機関のことは聞いているだろ?」
「……、ええ」
「少し前にあいつの異動の話が上層部の水面下で上がっていたが、俺はお前らの性格も知っているしな、絶対上手くいかんだろうと踏んでいた。万が一のことがあったら面倒だから、念のため俺の部下にお前のところにリークさせたが」
長門のニュースソースはこの男の部下だったのか。そりゃ確かに信憑性が高い。高すぎる。
「異動の件はお前らの画策もあって結局ぽしゃったわけだが――裏取引の更に裏で、機関内のクーデター計画が進行していたらしい。つまり古泉の異動の話は陽動に使われたわけだ」
俺は拳を握り締める。白い手袋がぎゅっと音を立てた。
「だが機関だって馬鹿の集まりじゃない。あえて陽動に気を取られているふりをして敵が動くのを見ていた。だからクーデターの鎮圧は迅速だったよ。だが、それによって派閥の力関係が少々動いてな。結果、機関上層部に入れ替わりがあった。機関上層部は古泉を中央に引き戻して機関の権力安定を図りたがっている」
「……古泉は、自分は末端だと、」
「本当に末端だと思うか?俺は機関と契約しているにすぎんが、この俺と機関を繋いでいるのは、あいつだぞ?」
俺がどうして機関と契約することになったか、お前は知っているだろう。機関内に俺の椅子を用意したのはあいつだ。
こめかみがずきりと痛んだ。
俺は古泉が所属する『機関』について詳しく問い質したことは、ない。古泉だけでなく、長門も朝比奈さんも所属する場所がある。派閥とも呼ばれるものだ。幕僚クラスにありながらどこにも属していないハルヒや俺のほうが珍しいのだ。
軍の裏側なんて陰謀だらけの真っ黒だ。
「……古泉は、俺たちの艦から降りない」
「引きずり降ろされるかもしれない」
「そんなことは、させない」
「あの花畑女が?」
「ハルヒもだし、俺もだ」
「機関と古泉の取り合いをするか?」
「取り合うも何も、」
俺はくすりと笑っていた。
「あいつは随分前からとっくに俺たちのものだ」
「では戦え」
俺の言葉に、男が薄い唇を弓形にして笑った。
「役に立つかはお前次第だ。だがお前のその小賢しい頭ならなんとなるだろ」
男は俺に小指の爪ほどもないマイクロチップを投げて寄越した。
「俺の小賢しさはあなたの下にいるときに身についたものだと思いますがね」
投げ渡されたほとんど重みを感じさせない小さな記憶媒体を、俺はそっと胸ポケットに落とし込む。
「では一時期とはいえ俺の下にいられたことを感謝しろ」
「――はい」
俺の身体は俺の意志より早く頷き、返事を返していた。
「古泉は俺の出世の足がかりを作った。これはどれだけ時間が流れようと変わらん事実だ。その借りは返す」
「あなたらしくもなく、義理堅いな」
「何を言っている、俺ほど情の篤い上司なぞそうそういるものか」
男は人の悪い笑みを浮かべながら腕を伸ばして手のひらを俺の頬に触れさせた。
「だからせっかく俺が手ずから育てたのにお前をちゃんと花畑女の下に返してやっただろう?」
手袋越しの男の体温を頬に感じながら、俺は男の目をまっすぐに見返す。
「戻ってきたくなったらいつでも戻ってこい。お前の席くらいすぐに用意してやる」
「――まさか。ご冗談を」
本当は冗談だなんて思っていない。この男はそういう冗談は言わない。
「冗談じゃないさ」
男が笑みを深くする。
「俺は結構お前を気に入っているんだ」
なんという――誘惑だろうか。この男はやっぱりどうにも笑う顔が悪くていけない。何か裏があるのではないか、悪いことを企んでいるのではないか、と疑わずにはおれないような人の悪さが滲んでいるのに思わず手を取ってしまいたくなる。
ハルヒの艦を降りる気など更々ないが、それでもこのやり手の男にそれなりに惜しまれているのかもしれない、と思っていくらか浮かれた自分がいることを俺は否定しない。俺はテキストからでは学べない実践作戦の構築の仕方から軍で生き残るための処世術まで様々なことをこの男から学んだ。ハルヒは毛嫌いするが、俺は嫌いじゃなかった。
言うだけ言って満足したのか、男は俺から手を離し、胸ポケットにしまっていた眼鏡を取り出してかけ直すと、ガラスの奥に一切の表情をしまい込んだ。
能面のような顔が言う。
「下がってよし」
「イエス、サー」
俺は踵を合わせて敬礼をすると、部屋を後にした。
会長、あなたと会うと俺も初心を思い出す。
何が大事で、何を守りたいのか、そしてそのために自分がすべきことを。
[The hydrangea changes the color with the soil. =紫陽花は土で色を変える。]
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