変わってしまった壊れてしまった、と思った。
守っていたもの受け流していたもの信じていたもの。
心の、精神のずっと奥。固く尖った、僕だけの、僕だけが許す、僕という存在は、粉々に。粉々に、あの声に、あの手に、細かく細かく粉砕されてしまっていた。砕けて散って、血に溶けて全身に廻ってしまった。まるで毒のように。もしくは歪んで変形して、肉に食い込んでしまった。溶けて癒着してしまった。もう抜けない。もう取れない。抉って削って血と肉を零す以外には。けれどそんなことしたってもう手遅れだった。抉れば抉った分だけ、削ったら削った分だけ、傷は残り肉は減り、そして取り除かれたものの存在を主張するだろう。
存在が消えない。存在を殺せない。
“古泉一樹”という記号が確固たる血肉を得てしまった。
そうなったら辛いのは“僕”なのに。
苦しむのは僕なのに。
勝手に詰め込まれた知識。無理やり持たされたたくさんの人間の命。たくさん、たくさんの。溢れてしまいそうなほどの量を僕の手に乗せて、大人たちは零すなと言う。背負えと言う。山のように積もったその上に大人たちは更に乗せていく。もう乗り切らないのに。後は零れ落ちるだけなのに。奪われてしまった、もしくは最初から存在しなかったのかもしれない、僕という過ぎ去った時間を振り返る暇も考える余地もない。何かを恋しがるには精神はもう随分と摩滅していて、思考したところで答えはなく、満足に睡眠を取ることもできない生活に僕の心身は疲弊してしまっていた。何も生み出さない破壊に僕は厭いて疲れてしまっていた。言われたことに諾々と従っていたほうが楽だった。
もう、自分がどこにあるかもわからなくなっていた。自分が在るだなんて断言できなかった。
思考は行き詰まり、僕は疑心するばかりだ。
でも。
『古泉くん』
でも呼ばれる。
涼宮ハルヒが。朝比奈みくるが。
滅多に声には出されないが、長門有希の視線が。
彼女たちが僕を呼ぶ。
そして。
『古泉』
彼が、僕の名前を、呼ぶ。
覚えてる。
どこかがぐらぐらと揺れる。
動かされる、感情というもの。自分の役割を果たすには邪魔で、捨てるべきもの。
躊躇えば、直接的に自分の、ひいては世界の崩壊に繋がってしまう。
でも、と僕は躊躇する。
「僕は」
僕を呼ぶ声も仕草も、全部覚えてる。
そこに彼の思惑などは関係ない。僕がどう思い、どう受け止めるかが問題なのだから。
もう何も捨てたくない。思ってしまった。願ってしまった。
両手には砂をすくって出来たかのような山。僕が守るべきもの。僕の役割。手を開けばこの砂は零れ落ちるだろう。だから僕は両手を開くことは出来ない。してはいけない。
不意に泣けてきた。
この手に乗る重みに耐え切れず手を開き誰かに縋ってしまいたいと投げ出してしまいたいと一瞬でも思ってしまった己の不甲斐なさにではなく、無自覚に伸ばされた手を取りたいと思ってしまったことに。
間違えるな。勘違いするな。思い上がるな。
僕は神の下僕ですらない。僕は神の精神に生まれたニキビ治療薬でしかない。僕の手に乗っているのは砂の山じゃない。
けれど僕を“僕”たらしめるものは僕ではなく、“僕”を認識しその名を呼ぶ存在だと僕は知ってしまった。
恨みます。憎みます。
彼女たちのことを、彼のことを知らずにいられたなら、砂漠からたった一粒の砂を見つけようとするような愚を冒すようなことをせずにすんだのに。
けれどもう、僕は彼の呼ぶ声に光を見つけてしまった。
小さな光だ。
もしかしたら光とさえ呼べないのかもしれない。
それは砂の一粒ほどの小さなもの。
でも僕はその砂粒を思うと少しだけ、泣きたくなる。
その砂粒には“古泉一樹”という名が付いている。
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