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略して「バタフライ効果」。男子団員二人中心のテキストを取り扱っています。
Posted by - 2026.06.11,Thu
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Posted by バタフライ効果 - 2008.07.13,Sun
(※パラレル)

拍手[3回]


 
 どこにでもありそうな台所に立つ男の背中がダイニングテーブル越しに映っている。
 BGMはテレビから流れていると思われるニュースの微かな音とまな板を叩く包丁の音。
 定点カメラの視点は固定されて低く背中の途中から上は見えない。
 男は黙々と料理をしている。
 ときどき冷蔵庫を開け材料を取り出したり、流し場で洗いものをしたり、鍋を火にかけたりして、できたものを皿によそい、テーブルに並べていく。
 男は一言も喋らず、カメラは動かず、ただ淡々と食事の用意を進めていく。
 料理を終えて、洗った手を布巾で拭い終えると男が椅子を引き、テーブルに着いた。
 椅子に座ったことにより、男が映る部分が若干上に上がったが、鼻の中ほどから下、つまり顔の半分までしか映らず、男の顔はわからない。
 男が手を合わせてから、箸を持つと食事を始める。
 テーブルの上には男の分と、それからもう一人分の食事。
 だが男の前には誰かが座りに来る気配はない。
 男は淡々と食事をしている。
 時折手が止まり顎が上がる。
 テレビを見ているようだ。
 そして興味を失ったのか、また食事に戻る。
 淡々と食事をしている男の手の動きと口元と咽喉元が動いているのが淡々と映っている。
 映像は男は何度も二人分の食事を作り、食べる。
 男の前に席の椅子が引かれることは一度もなく、誰かが座ることは一度もなく、また室内の気配からそこには男以外が存在しないことを窺わせている。
 もう一人分は誰にも手をつけられないままだ。
 それなのに男は毎回二人分の食事を用意し、そして自分の前の席に並べる。
 低めの視点のカメラは淡々と男の食事を映しているだけ。
 男の服装と作った料理が違うことで、日が経っていることを知る。
 淡々と、食事を作り、食べる男の服が厚手の長袖だったものから薄手の長袖、それから半袖のシャツに変わっていくので季節が移ろっていったことがわかった。そしてだんだんと料理の手際が良くなっていったこと、料理の見栄えから男の料理の腕前が上がっていったこともわかった。
 そして変わらず二人分の食事。たまに窓が開いているのか近所の子供たちの遊ぶ声が入ったりしたが、BGMはあるかなしかのテレビから漏れ聞こえてくるニュースを読むアナウンサーの声。
 飽きてきた。
 視点は固定、科白もなく、場面転換もない。退屈して当たり前だろう。
 そう思ったところを見計らったかのように、初めて男がカメラに向かって歩いてくる。
 それまでカメラがある位置を頑なに意識すること視線を向けること近づくことを拒んでいるように思われた男がカメラに向かって歩いてくる。
 カメラの真正面に男の開襟シャツの胸元が映る。
 男が屈んで、下に手を付きながらカメラの丁度真正面に来るように腰を下ろした。
 初めてカメラの前に映った男の顔は、酷くうつくしかった。
 きめ細かそうな白い肌に左右対称のパーツ。少し長めの柔らかそうな色味の薄い髪の奥からとてもうつくしい目がカメラの中をまっすぐと見つめた。
 長い睫毛で影がかかった男の目がカメラのレンズをじっと覗き込んでいる。
 どれほど男はカメラを見つめていたのか。
 多分それほど長くはなかっただろう。
 そして男はカメラに手を伸ばし、手を戻す。
 戻した手には写真立てを一つ掴んでいた。
 そしてそれまで一度も表情を動かさなかった男が写真立ての中を見て小さく笑った。
 目じりをほんの少し下げ、唇の端をほんの少し持ち上げただけだったが、劇的な変化だった。
 精気を感じさせなかった顔は胸が締め付けられるような繊細な笑みを浮かべていた。
 男の唇が小さく動く。
 三音。多分それくらい。
 何と言ったのか、カメラは音を拾わなかった。
 多分写真立ての中に飾られているだろうと思われる人物の名前だろうと察する。
 男は微笑したまま、立ち上がるとカメラに背を向ける。
 手には写真立て。
 男がカメラからフレームアウトした後、カラカラと小さく窓を開けているらしき音がして、それから遅れて窓の外から悲鳴らしき声が上がる。
 ざわつく気配、そのざわめきが少し遠ざかって、そして救急車のサイレン音。
 カメラは相変わらずテーブルと台所を映したままだ。
 ベランダに続く窓を開けたせいだろう、風が吹き込んで白いレースのカーテンがカメラの端っこを少し掠めていった。
 そしてゆっくりとピアノの奏でる淡々とした、けれど切なくも寂しげな音楽とともにエンドロールが流れ出す。
「…なんて憂鬱な映画だ…」
 三十分もない短編映画はここで終わった。
「おや、そうですか?」
 僕は演じていて結構楽しかったですよ、と俺の前に座っていた相手が笑った。
 先程見た儚げな笑みではなく、爽やかでどこか能天気な笑顔である。
 テーブルの上に広げていたノートパソコンからDVDを吐き出させるとシャットダウンする。
 ドーナツ型の円盤をケースに入れる。ケースには先程まで見ていたテーブルと台所というカメラからの画像と、タイトルが記されている。
 ケースの裏も表と同じ画像が使われて、主演役者の名前が素っ気なく記されているだけだ。あらすじなんか記そうものなら一気にネタバレだからな。
「ありきたりだ。なんの捻りもない」
 男が結婚相手だか同棲相手だかを亡くして、結局後を追ってベランダから飛び降りた、ただそれだけの内容だ。
「だからこそ普遍の感動を与えるとも言えます。凄い反響があったんですよ。最初はネット配信だけだったのに反響を受けて映画館でも上映してもらいましたし、あんなに短い映像作品だというのにDVDにもしていただけることになって、ありがたいことですよね」
「全部お前のその顔のおかげだろ」
 あそこまで引っ張って、出てきたのが俺のような平凡な顔だったらあそこまで評判になったりはしなかっただろう。
「商売道具ですから、褒めていただけるのは嬉しいですね」
 ノートパソコンをパタンと閉じながら、溜め息を一つ。
「それで、何の用だ?」
「次回作での役をいただきに」
「……俺はもうお前と仕事したくないんだが」
「まあそう言わずに」
「というか、今をときめく話題の俳優が直接交渉に出てくんな。何もしなくても仕事舞い込んできてるだろうが」
 俺はDVDケースを指先でトントンと突いた。
「僕があなたと仕事がしたいんですから、僕が出てくるのが当然でしょう?」
「お前何本もCMやドラマのオファー受けてんだろ?どっかの事務所と契約して出ろよ、テレビ」
「あなたが書くなら考えますよ。まぁ、コマーシャルなら契約しても構いませんが、でも僕は舞台から足を洗う気はさらさらありません」
 短編とはいえ映画に出たのだってあなたが書いたからです、と男が笑う。
「弱小劇団じゃもうお前を抱え込めねえって言ってんの。お前自分の人気わかってんのか」
 たった一本の短編映画で、男は時の人だった。
 うつくしい顔の男は声もうつくしかった。その容姿は舞台に栄え、カメラの前でもよく栄え、演技も存在感もよかった。男がそこにいるだけで空気が変わる。笑み一つが花が咲くように華やでありながら、でしゃばって他の役の邪魔になることもなかったから脇役としても充分に使えた。
 男はうちの劇団の花形役者だったが、弱小の劇団では公演の規模も限られていたし、男はうちでしか舞台に上がらなかったせいで、知る人ぞ知る存在でしかなかった。それが口コミだけで火がついて、映画を有料配信していたサイトはアクセス量に耐え切れずサーバーダウン。単館で上映が決まれば長蛇の列。ワイドショーがその映像を流していた。そして短いインタビューがテレビで放送されて男の人気は爆発した。劇団はひっきりなしの問い合わせの電話でいまだに大混乱中。次の公演の予定を組むどころじゃない。
 俺はDVDケースを指先でトントンと突く。
 そして来週DVDが発売される。予約数は予定生産数を大幅に上回ってしまい、発売前から増産が決まった。
 だというのに、
「僕を見つけて僕を舞台に上げたのはあなたなんですから、あなたはその責任を取らなければ」
 ヒヨコの刷り込みかよ。
 だが最初は黄色のヒヨコだって時が経てばニワトリになる。
「お前だってそろそろ独り立ちしていい頃だろうが」
 お膳立ては済んでいるんだし。
「元々目立ちたい願望はないので、テレビにそれほど興味はありませんね。それにこれが一番肝心なことですが、僕はあなたの書く話が好きで、あなたの手のひらの上で踊っているのが好きなんです」
 居心地のいいあなたのそばという場所を手放す気もありません。テレビはそれを引き換えにするほど価値のある場所でしょうか?
 男は自分のブレイクなど気にした風は少しもなく、俺の目の前でにこにこと微笑んでいる。
 蓼食う虫も好き好きと言うが、お前はほんと悪食だな、と言おうとして、不意に、天使の尻尾が脳裏を掠めた。物語の片鱗がどこからかパラパラと降ってきて忘却の川へ向かって流れ出す。
 俺は慌てていつでも持ち歩いているノートをテーブルに広げるとシャーペンを握る。
 パソコンを立ち上げている時間も惜しい。
 取りとめもない言葉の氾濫をそのまま紙の上に落としていく。
 うつくしい顔の男は声もうつくしかった。その容姿は舞台に栄え、カメラの前でもよく栄え、演技も存在感もよかった。男がそこにいるだけで空気が変わる。笑み一つが花が咲くように華やでありながら、でしゃばって他の役の邪魔になることもなかったから脇役としても充分に使えた。とても使い勝手のいい役者だった。
 何より、俺の創作意欲を掻き立てる、いい役者だった。
 きっと席を立つこともせず先程と変わらず前で笑っているだろう男の顔を思いながら俺の手は止まることなく文字を吐き出し続けた。
 結局、手放せないのは俺のほうなのだ。
 
end.
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