「なぜ人を殺してはいけないの?」
机に頬杖を付いて思わずぼそりと呟いた。
「随分とまたベタですね」
開いていた本をぱたりと閉じて、古泉君が私のほうを向いた。
「ほんとよ!創意工夫に欠けてて呆れるのも面倒だわ!」
「どうしたんです?」
「暇だったから読んでた本に出てきたのよ」
「なるほど。それで、涼宮さんはどうお答えになりますか?」
古泉君が微笑む。
聞かれて私は、ああ私はそれをわざわざ口にしたくて声に出したんだ、と気づいた。
古泉君は不思議なくらい、そういうところを見逃さない。ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ空気を押し流すくらいの自然な仕草で、するりと私の思考を読んで一歩先へと道を開けてくれる。
だから私は、
「“甘えないでよね!”」
「涼宮さんらしい答えですね。一応ですが、説明をしていただいても?」
古泉君は小さく頷いて、先を促す笑顔を私に向ける。
「よろしくないけど、まあ暇だし、いいわよ!つまりね、何でもかんでも質問したら答えが返ってくると思ってんの?!ってことよっ。下らない質問してあんたバッカじゃないの?!なに甘えたこと言ってんのよ!少しは自分の頭使って考えなさいよね!ってこと。質問するだけなら幼稚園児でもできるわよっ。でも自分の頭で考えることは幼稚園児にだってできるのよ。自分で答えを出すこともね!」
「なるほど。ごもっともです」
「古泉君はどう思う?」
「そうですねぇ。少し意地悪な答えをするならば、“誰もそんなこと言ってませんよ”」
「え?」
「刑法にはそんなこと書いてないんですよ」
「そうなの?」
「ええ。書いてあるのは人を殺した場合の刑罰だけで“人を殺してはいけません”なんてどこにも書いてありませんし、教育課程でそのようなことを教わった覚えも僕はありませんね」
「そういえば、そうね。でも道徳か何かで“人殺し”は“悪いこと”って教わったような気はするんだけど」
「道徳に関しては教える教師の主観が入ることもあったでしょうから、“人を殺してはいけません”と教える教師がいないとは断言できませんが、教師がそのように教える指導方針などはないと思うんです。そういえば、最近の小学校では道徳の授業はないそうですよ」
「へぇ?いいわね。私道徳の授業って大嫌いだったのよね。押し付けがましくて。なんでわざわざそんなこといちいち授業なんかで教わらなきゃならないの!ってイライラしたもの」
「結局のところ、大人は“いいか悪いか”教えてやらなければ子供はわからないと思っているということでしょうね」
「馬鹿にしてるわ」
「けれど実際にそれがわからない子供もいることも事実です」
「一人が阿呆だと同じ年代全部が阿呆だと思われるのって、ほんっと我慢ならないんだけど」
「同感です」
「つまり、“人を殺してはいけません”と言われて“なぜ人を殺してはいけないのか?”という質問が出てくるわけだから、そもそも“人を殺してはいけません”とは誰も言っていなかったならその前提が崩れるってことね」
「はい。法で規定する文言はなかったからと言ってこれは人を殺してもいいという意味ではありませんが、“人を殺してはいけません”なんてことはどこにも書いてありません。刑法とは文面以上のことを含むこともありますし、刑法とは抑止の意味がありますので、これは意地悪な答えですよね」
「それじゃあ意地悪じゃない答えは?」
身を乗り出して好奇心を隠さない目を向ける私に古泉君は優しく笑う。
「“誰かに殺されたくないので、僕は人を殺しません”。人殺しが容認されることになったら社会が回らなくなってしまうと思うんです。誰だって殺されたくないでしょう。だから人を殺さないことは暗黙の了解であり、常識であり、人殺しは悪いことで、“人を殺してはいけません”だと思うんですよ」
「そうね。自分が誰かを殺すなら、誰かが自分を殺す可能性があることを考えるのは当然だもの」
「ええ。そもそも殺してはいけない理由を問うなら殺したい理由も問うべきでしょう」
「まったくだわ!」
「ほんと、そんなこともわからないなんて“甘えんな”ですよね」
ほんとうにそうだわ、と古泉君の同意に、私大きく頷いた。
「そういえば某有名な漫画で“悲しむ人がいるから”という回答がありましたね」
「なにそれ!殺したいほど憎んでいる人間がいる人間に対して、それがいったいなんだっていうのかしらね!殺す相手の恋人だか家族だかのことまで冷静に慮れる人間は人を殺そうなんて思わないわよ!そんな空っぽの綺麗事で、人を殺そうとする人間を止められると思っているのかしら?!」
少し論点がずれたことを自覚しつつ、それでも私の口は止まらなかった。
一気に言いたいことをまくし立ててから、不意に悪戯心にも似た好奇心が頭をもたげた。
「ねぇ、古泉君は殺したいほど憎い相手がいたとしたら――」
「殺しませんよ」
私の声をやんわりと遮って、古泉君がふわりと微笑んだ。
「僕は殺しません。人殺しが悪いことだからではなく、自分が殺されたくないからではなく、それに伴うリスクが問題でもなく――僕は殺しませんね」
「そうね。私も、」
笑顔の古泉君に私も笑顔を返したとき、部室のドアをノックする音が響いた。
会話を中断し、古泉君から視線をドアに向ける。
「はーい。どうぞー!」
「ふわわ…っ、すみません、遅くなっちゃいましたぁ」
みくるちゃんが部室に入ってきた。
少し乱れた長い髪の毛が、みくるちゃんががんばって急いで来てくれたことを物語っていて、みくるちゃんは本当に可愛いわ、と思わず笑顔になる。
「いいのよ、みくるちゃん!キョンもまだ来てないんだから!まったく、いくら掃除当番だからっていつまでもたもた掃除してるつもりなのかしらね!」
「では僕は廊下に出てますね」
パイプ椅子から腰を上げた古泉君がみくるちゃんと入れ違いで廊下に出て行く。
私はみくるちゃんを笑顔で迎え入れながら、もしかして古泉君と私って少し似てるんじゃないかしら、と静かに思った。似ているというより、近いと言ったほうが正しいかしら。
古泉君も私も、多分殺したいほど憎い相手がいても、殺したりしない。
でもそれは人殺しが悪いことだからじゃなくて、自分が殺されたくないからじゃなくて、それに伴うリスクが問題でもなくて、きっと――それほどの価値を相手に認めるのが不快だから。
私ってどれだけプライドが高いのかしら、と苦笑が零れる。
ああでもそれってつまり、きっと――、
「価値を認められる相手なら、私も古泉君も――」
殺せてしまうんだわ。
ふわ、と自然と笑みが浮かんだ。
きっと、きっと、きっと――。
今の私、古泉君と同じくらい優しく微笑んでいるに違いない。
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こういうどうでもいい感じに議論ができる二人が書きたかっただけで、別段論議がしたかったわけじゃありません。それほど深い意味を込めて書いたわけではないので、さらっと読み流してください。さらっと。私個人としては答えは出てません。知るか、そんなこと。人は人を殺せる、ということくらいはわかっているつもりですが。答えがある、答えの出る問題のほうが少ないと思うのです。だからと言って自分の頭で考えないのはよくないことだと思うのです。
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