「もしかしたら、愛するということはとても簡単なことなのかもしれませんね。困難だという人もいるでしょう。苦痛だと感じる人も。憎んでいる人だっていることも知っています。僕も少し前まではそうでしたから。いえ、僕は憎んでいるというよりも諦めていた。愛することも愛されようとすることも放棄していた。どうでもよかった。けれど、今は愛するということはとても簡単なことなのではないかと思うのです。今、この瞬間みたいに。ほんの少し、身を任せればいいのです。空気のように、感情も、滞ることなくどこかへ向かって流れていくんだと思います」
変に意地を張って流れを押し留めようと反発するから醜く歪むのであって、流れに素直になって身を任せれば僕はこんなにも自由です。
「そしてこの取るに足らない僕の感情の、古泉一樹の好意という感情の流れ着く先があなたのところだったならと思います」
古泉がふわりと微笑んだ。
穏やかに、けれどその微笑みは幸福と呼ぶにはどこか諦めに似てすぎているように見えた。
愛の定義も愛し方も数学のように方程式があるわけではないのだからどう思おうと各々の自由だからな、俺はあえて反論を口にするのも億劫で黙っておいた。
俺としては愛というのは古泉の言うような、優しく穏やかに流れていくだけのものではないと思うんだがな。空気のように流れるとしても、それはきっと穏やかざる流れだろう。まるで濁流のような。
流れ始めは古泉の言うように静かな穏やかさを持っているかもしれないが、相手から離れて流れ出した途端それは勢いを持ち荒波のように流れの先にいる相手を飲み込むものへと変貌する可能性を持っているのではないかと俺は疑う。
古泉から流れ出た諦観を帯びたちっぽけでのろまな愛情だって滑り出したら加速するのだ。その愛が友愛かどうかといった些細なことに関係なく。
ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで大竜巻が起こるか?
起こるんだろうさ。人が想像できることは実現可能だという話だからな。
古泉から流れ出た、古泉曰く取るに足らない一滴の流れが今まさに俺を荒れ狂う濁流の中へと飲み込もうとしていないとは、誰にも言い切れない。
ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで大竜巻が起こるか?
お前の俺への感情が変化したように、俺だってきっと変化することだろうよ。
それがいつでどう起こる事象かなんてのはそれこそブラジルで羽ばたく蝶もテキサスで巻き起こる大竜巻だって知りもしないことだろうが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
かなり遅くなりましたが、Helenの吉町さんが「エンドロールに君の名を。」の派生話を描いてくださっております!ありがとう吉町さん!大好きです吉町さん!気づくの遅くて本当にすみません…。吉町さんの絵も内容も雰囲気も大好きなので本当に嬉しいです。
彼は、どこか僕に似ている。
方法・手段は違ったが、ある一定距離以上には相手を近づけない、という意味において、僕たちは似ていた。
彼が僕を気に食わない、と顔をしかめる。つまりそれは、彼自身が自らに対して自らの煮え切らなさを唾棄しているということ。
僕は彼を穿った視点からしか見ることができない。つまりそれは、僕が僕自身を全く信用していないということ。
だから僕たちは互いに近づきも離れることもせず、何食わぬ顔で隣りを歩くのだ。
彼は無関心の、僕は博愛主義者の仮面を被って。
(=も≠もどちらもイコール)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
データ飛んでました…。
どうやら上書き保存に失敗してたらしく…。ファイルごと駄目になってた。最近保存が保存になってない。後日開いて初めてデータ飛んでるのがわかるところが恐ろしいです。そしてバックアップデータを上書きした結果バックアップまで消えそうで恐ろしくてバックアップが取れない。そして相変わらずマウスの調子が悪い!右クリックが反応しなかったらコピペができない…。
日陰で誰にも顧みられず痩せた茎と惨めな葉の緑色と貧相な根っこしか持てない雑草の本能は望む。栄養のある土と新鮮な水と、何より命を育む太陽の光を、と。
けれどだからといって育つために雨避け風除けの戸を立ててその周囲を囲んで過保護に手入れをしたところで整うのは見た目ばかりだろう。その見た目だって所詮は雑草。薔薇や百合には到底敵うまい。そして肝心の根が育たなければその花さえ枯れる。
度を越した肥料は逆に毒にしかならない。水だって陽光だって然り。与えすぎれば枯れる。
葉は、茎は、根っこは、僕の心だ。地に這い蹲り、ときに踏みつけられ、もしくは存在さえ認識されないもの。
固く厚いアスファルトの覆う不毛の地でも、陽光一筋も差さない日陰でも、水も土もなくても、その姿がどんなに惨めでも、僕は往生際悪く生え残ろう。
ただ、そこに、ある。
誰に省みられずとも。
誰だって手を伸ばせば手に入るものなら自然に手を延ばして手に入れるだろう。反対に、見込みのないものには誰だって無意識に避ける。そして僕は手に入らないとわかっているものに向かって手を伸ばし縋れるほど自分のプライドが低くないこともわかっている。自己欲だ。僕だってそれなりに自分が可愛い。下手に自尊心を傷つけるようなことはしたくない。
それでも身の内に宿っていた小さな熱に突き動かされて炎の中に飛び込んでしまいたくなる衝動も、また存在することは否定できなかった。
彼は誘蛾灯だ。
僕は脳の片隅で瞬く黄色の危険信号に気付いていながらも、火に引き寄せられる虫のようにどこか無意識に彼に引き寄せられてしまう。衝動はやはり衝動だ。身を焦がすとわかっていても手を伸ばさずにはいられない。燃えて、地に落ちるとわかっているのに。否、地に落ちた後もきっと僕は彼に惹かれてしまうのだろう。
手を伸ばしたところで、僕の手は僕を覆う薄い膜によって遮られるとわかっている。けれど無意識の衝動というものは僕自身にも抑えがたくまた回避不可能なほど反射的なものだということを僕は理解している。僕は僕自身の愚かさを自覚し、その愚かさに、僕は無性に耐えられない、と思った。
つらいのだ、苦しいのだ、と思った。
久しく忘れていた感覚だった。
世界と自分との間に隔たりができて、僕の感覚はどこか遠くなっていたから、量の少ない薄味の精進料理を毎日食べていた身に、いきなり五百グラムのサーロインステーキを目の前に置かれたみたいな感覚だ。
視覚だけでも衝撃は大きい。
けれど律儀に嗅覚は反応し、胃は正直に収縮する。
眩暈がした。
僕にもまだこんなにも本能が残っていたのか、と。
驚愕し、混乱し、困惑した。
達観を気取り理屈を捏ね繰り回してばかりの理性より、育ち盛りのこの身体は本能に忠実で正直だった。
今更肉など口にできようもないし、食べたところで僕の胃はきっと拒絶反応を起こすことだろう。そして何より、僕には昔の自分がサーロインステーキが好きだったかもわからない。
なのに僕は、僕がずっと飢えていたことを知ってしまった。
Powered by "Samurai Factory"
